ながいセンセの机の上

中学理科の最前線ポータル?、元ワンオペ3児のママ先生・ながいセンセのブログ

手話ソングに対する個人的な意見。

テレビを見てたら、講演講師に歌を送る段で、手話ソングを小学生が一生懸命やってました。

 

手話ソングご存知ですか?

聞いてるだけだと普通の歌。歌っている姿を見ると、何かしら身振り手振りしてる。

それ手話なんだ。

だから手話ソング。

 

普通の合唱より見栄えがいいですね。(先生のミカタ)

手話が入ると激ムズ。(生徒のミカタその1)

聞こえなくても伝わるね。(生徒のミカタその2)

 

私は前任校の時にやっていて。(←音楽主担当)

歌わない子や歌が嫌な子に、身振り手振り習得風にやると、音楽に興味が持てる…という、逆の効果を感じて入れてました。私の場合は、手話習得は入れてません。

音楽をいろんなやり方で楽しませたい、というのが、授業設計の基本にあって。あくまで「やり方」の一つ。

 

そこで、私にとって素朴な疑問が…

「聴者に、聴者が、手話ソングを表現する意味って何だろう。」

 

かつて、私が学生だった頃。

免許のための勉強で触れた「障害児教育」。 ←しかも、単位を落とさない程度に不勉強&欠席

ざっくり5種の障害種があるとして、そしてそのどれもが大変だと承知の上で、その中で「ろう」が一番楽なんじゃないかと思ってた。

だって、筆記すればいいし、字幕あるし。手話は大変そうだけど。

その当時、突然声が出なくなる芝居をしてたので(ユーリちゃん♡懐かしい)、特にそう感じたのかもしれない。

 

今は、そう思っていたことを悔いてる。

特に子育てを経たからなんだろうけど。

 

人が育つ上で、言葉があることを知らないっていうのは、知識が無いレベル以前に極限の孤独。努力しないと刺激が得られない…というか刺激?ナニソレオイシイノ?状態になるわけで。

例えば私がブログを綴るように、他人に働きかけて何かを伝えたいと思うかどうか。自己の確立というか、人格形成というか、基本中の基本になる「自分探し」が超大変だと思う。

だから、本当に、幼少期からの療育は大事。

 

自分以外の認識が出来たとして。

自分と外部の調節を、うまくしようと思うだろうか。一部「ワガママ」で片付けられてた状況を思い出す。

普通の人間だから、普通に反抗期とかの発達課題を越えていくわけで。私の周りには障害者=「いきなり迷惑な行動してくる、そうじゃなくても、何しでかすかわからない怖い人」と「サポートを常時受けてるだけあって、常に謙虚で。感謝で。なのに出来ることをいつも一生懸命頑張ってるから、こちらも勇気と感動」の極端な二択で捉える人が多いけど。そうじゃないよね。いろんな人がいるよね。

 

手話なり口話なりの技能、だけじゃなくて、その根底にある日本語というものの習得は、聞かない以上難しいはず。

 

ヒアロスってアプリを手に入れて、いろいろ聞いたんだけど。聞こえるにも幅も種類もあるから、感音性とか泣きそうになった。主人の声より赤ちゃんの声の方が重要なのに!←私には!

 

障害受容の壁だって厚いよね。外見からは分からないから、心無い輩から被害にあうことも多いだろうし、もしかしたら被害にあってても気づいてないかもしれない。

 

この辺の山を越えて、聴者文化に親しんで、音=振動…以外の歌を一緒に楽しみたくなって、やっと手話ソングなはずなんだ。

ろう文化にも、そこに立つまでに、尋常じゃない苦悩がある。

他の障害種でも、同様の、そして特有の厳しさはあるから、どれが楽とかないって。

私は伝えたり文字にして文化を楽しむことに親しみがあるから、「伝えたいと思わない」「言葉を持たない」そして「自分が社会的にも精神的にも閉じこもり状態になる」ことはとても怖い、辛いと感じた。

 

当事者の知り合いはいないし、机上の勉強と大学や初任研の実習をもとに推測で書いてます。ごめんなさい。

 

でも、この場合って。

そういう推測さえなしの、即、手話ソングじゃないですかね?

私は、知ってる一部の先生がそうだからといって、「小学校の先生は、使えるものは何でも使うよね」という偏見を持っています。だから「ノーマライゼーション教育だし、見栄えするし、合唱にちょっと足すだけだし、良さそう」と取り入れてるように見えてしまいます。

 

それ、必要なのかな。

少なくとも今回の、聴者が特定の聴者に、聴者の作った曲をプレゼント的に聴かせたい場合、私には手話をつける必要がわかりません。

生徒への負担感も結構あるんですよねあれ。ちょっとじゃないんだよ足すの。言葉だから間違えられないって思うしね。だったら違う所に時間かけるなり、時間返してあげるなり(休み時間にするとか)。

 

手話ソングである必要が、しっかりあるなら別にいいんです。テレビからそう読み取れなかっただけなんです。こんな戯言無視してください。

もし、何もないなら。そこに曲があるから、手話があるからやっただけなら。

せっかくだから、推測もしてみません?

ろう文化。

ろう者のしんどさ。

そしてそれは、本人の「意思」とは無関係。

そしてそれを、克服したり改善したりする人の強さと協力、絆。テクノロジー。知恵。

そしてそれを、自らにその問題がないからという、一部の人間の浅はかさ。融通きかないな。心の余裕がないな。たかが聞こえるだけで高慢だな。

あ、もちろん、障害者だから不都合いっぱいで不幸だなんて思いません。すごい人も幸せな人もいっぱい。聴者にも、不都合いっぱいで不幸な人も多いだろうしね。どこまでも、みんな同じ、でも、人による、と思ってる。

 

私も一生勉強中だし、よりよい自分になるために精進します。しなきゃ。まだまだダメだわ。

 

勉強って、基本的には「せっかくだから」でやるものだと思うんです。

ほのぼのさんも、なにかと「せっかくだから」って言ってましたw

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