物でつらないで。楽しみと学びとを交換にしないで。私の低学年教育論
宿題終わったら遊びに行ってよし!と言ってる私が言えたことではないのですが。
私は「順序だてている」と解釈していただけると助かります。あと、宿題は先生が君たちを信頼して出してる、いわば約束のようなものだよ。と説明しています。納得してくれませんがw
身近にいないわけではないなぁ。
学習塾の後にゲームセンター。
展覧会の後で、予定外のお出かけ。
まだアレですけど、テストが良ければプレゼント。ケーキ、外食のご褒美。
否定する気はゼロです。
私もよく使います。
ものや飲食、楽しいことが、親子や仲間のコミュニケーションのツールになっているのなら。その存在で生活は潤って、世界は輝いているような気すらします。
ただ、子どもが親の手の中にいるのは今だけなので。
子どもが「親に認められた」で満足できるうちに、外向きのご褒美(買ってもらう類)をつかうのは、勿体無い気がしています。
内向きのご褒美(褒める、見守る類)をいっぱいあげるのが先でもいいんじゃないかな?と思ってます。
うちの男子は、お膝に乗って頭を撫でられるのは嫌いじゃないらしい。
どうせすぐ彼女が一番になるのだから、今だけは言葉とスキンシップを真っ先に心がけています。
なかなかうまくいきませんが。数秒後にはすぐ怒ってる!
ものや飲食、楽しいことが得たくて。勉強の類をするようになってしまったら。
よく聞いた、外発的動機付けってやつで。やりたい気持ちは長持ちしませんし本質に結びつきません。って聞きました。
低学年のうちは、まだ、学びそのものが楽しみになるわけない世代なのはよく分かります。
だけど、「勉強って楽しい」へ成長させるには、ご家族のサポートが必須だし、それしかモチベーションを繋ぐものってないかもしれないです。
過剰なご褒美制って、人間形成にも…愛情を、親密さを、もので測るようにならないかな。
心配です。
誰かのうろ覚えの話。(元を見つけたらリンクしますが、見つかるかどうか…)
………
あるママが、息子を保育園に預けて働いてました。
仕事が忙しく、帰りは園の閉まる直前。最後の一人。保育士さんにも申し訳ないんだけど、うちの子も可哀想で…
車好きの息子のため、保育園のお迎えに行く時、ミニカーを持っていきました。
いつもは寂しそうにママを待つ子どもが、ミニカーを見たら、パアッと顔が輝いたそうです。
その笑顔が忘れられなくて、それからママはお迎えにミニカーを持っていきました。
ある時、本当に忙しくてどこにも寄れず、ママは手ぶらで保育園のお迎えに行きました。「お迎えに来たよ、遅くなってごめんね」
息子は不思議そうにこう言ったそうです。
「ママ、今日は何のミニカーなの?」
………
ただいまもおかえりもなく、不思議そうに「何のミニカー」って、私にとっては破壊力抜群で。
この話を知って以来、子を愛するからこそ、買い与えるものや環境にも、親の意思を反映させなくてはいけない。子どもは素直に受け取るからこそ、どうして買うのか、今後とも可能なのかを、少なくとも親は納得していなくてはいけない。って思いました。
あと、そこからスライドして。周りの人が一時の思いで菓子を与えたり甘やかしたりするのを、親ではないからと一線を引いて見られるようになりました。それまでは、まだお菓子食べさせてないのにー、なんてことない時におもちゃあげてー、と私はいつもブチ切れていて、でも誰に説得してもそんなことは無数にあったから…疲れていたんです。
あの時追い詰められてた私へ。
親は、親だから。もっと自信持って。
彼らを大事に思っている限り大丈夫。おもちゃやおやつで釣らなくたって、それなりに子どもは来てくれる。とにかくまずは、彼らへの言葉とスキンシップと見守りだと、私は思ってる。
子どもが自分なりに世界を広げられるようになれば、受け入れたり受け入れなかったりを自分で決められる。それがそこそこ正当なら、それで子育て間違ってないと思う。
間違ってたって思ったら、周りのみんなを巻き込んで寄ってたかって修正すればいいじゃないか!
ただ、これは、低学年のうち。
世代でもあると思うし、育てられ方だとも思いますが、少なくとも中学生には通じません!笑
子どもがもう少し大きくならないと、この先は気付けないだろうな…
ところで、ご褒美が人間形成的に…なら。私自身も心配ですw
私は完全にご褒美制になってしまって、今は、美味しい食べ物やお酒(←8年前まで)でしか、対人関係のモチベーションが維持できてません。
それはだいぶ虚しいですので、とてもオススメできません!
そして、4人目がいてもおかしくない体型!w