ながいセンセの机の上

中学理科の最前線ポータル?、元ワンオペ3児のママ先生・ながいセンセのブログ

今年は特に重い、「最後の日」が来ました。

あっ、身バレ確定…

すみません。察してください…!

こういう日は寝られませんのでつらつらと。

 

本当に迷惑かけたなと思います。

そして、とても感謝しています。

 

大人の事情は最悪でした。

今も、何をどうやっても、早くならない。

ずっと言ってるんですけど、今日もダメです。

ここ数日ドタキャンしないだけ、いいのかな。

本当に早くピコリン導入してほしい。

生徒に興味ないから仕方ないって、他の教員に私は慰められてますが…私はどうでもいいわけで…全力拒否だった上の世代に比べて、本当に有難かった。

そして、サブはサブなんですよね。お察しのとおりです。ごまかしても見透かしてますよね、それも承知で、私は適当なことを言ってます。

 

子どもの事情も最悪だったと思います。

しかも、何も言えない教育をしてるのは大人だなって、心底思いました。

大人は上の立場だから、中の人たちには何の発言もできなかったはず。

 

言えなくて、いいのかな。

発言したかった気持ちを、部活の私はそのまま拾おうとしたけど、違うまとめ方をしたクラスもあったみたい。

どうして、私にはあんな部活動の運営ができないんだろうって、授業をやりながら思ってました。(授業の意味…!)

つきつめると、部活に何を求めるか(目的)と、部活で何を出来るようにするか(目標)のアンバランスさがもろに出ます。

保護者の。

子どもたちの、純粋な、シンプルな思いを、どうして大人が踏み躙ってよいと?

 

この一年半は、一応両者をそこそこやってるのに、どっちの味方にもならない、なれない自分がいます。

すっごい苦しいし、気持ち悪いし、吐きそうだし、嫌でたまらない。

好きな人ほど、この拒否反応は強すぎる。と、信じてこの苦しさを受け止めてる。

私は大人だし仕事だからいいけど、あの人たちはどうだろうか?

しんどい以外、ない。

 

あの人たちは、一般市民よりも苦しい立場。

大人でも、この苦しさを味わう人は、ほとんどいない。普通バブルだもの。物理的精神的に乖離してるし、そもそも目的が違うんだもの。その感じで、その割合で、その支援で、集わない。

それを「いい経験したね」なんて、とても言えない。上世代は、実は何も選べないんだ…。

 

私はとりあえず、面談の時はあの人たちのことを話して、校長、教頭、主任にはいろいろ言って。

主任的には、言ってることの信頼度が高すぎる人たちらしく、私はまたあの人たちを流石だなぁと思って。

 

残念ながら、私は、いろいろな人の思惑によっていいように振り回されて、かといって対応できるほど有能でもなく、私の手の届かないところで決まり、人権のために拒否さえもできなかったので、

結局ここ一番のあの人たちに何もしてあげられなかった。

とりあえず、あの人たちの前途が明るいことを、心底祈ろうと思います。

 

今までありがとう。お疲れさま。

きっと未来は開けてるよ。

高校は、きっと楽しいよ。私は楽しかったよ。

夏休みになりました。私は元気です。

お久しぶりです。

メンタル的な調子がどうもコントロールしきれず、うでうでしています。

と書いて、1年放りっぱなしにしていました。

本当にお久しぶりで、すみません。

 

ちょうど一年前ごろから、教員のSNSの使い方が取り沙汰され、おっかなびっくりしています。

また、プライベートでも絶妙で微妙な状況があり、おかげさまで私のストレス解消が封じられています。w

 

でも、何とかやってます。

同僚にも恵まれてると思うし、生徒も助けてくれる。

どう扱えばいいかよく分からないけど、多分忘れない子にも出会いました。(出会ってました。かな?)

 

そして、なにせ、心には大好きな方が!夏のコンクール時期は、お元気かなぁって、うちの吹部を見ながら毎日のように思い出します。

現主任と同じ教科だし、年も近…くはないか。私から見ると年下なので同じ扱いしちゃうだけで。

まあ、うちの主任を見ると、タイプは違えど今こんな感じかなぁって。

(絶対違う!こいしすぎておかしくなってる!!w)

 

最近、文句を言う方法を覚えたので(聞いてくれる人を見つけた、とも言う)、それを機に自分の価値観が全面に出てしまうことがあり、ブーメラン的に苦しむことも…!w

そんなとき、私は何をしてきたんだろうって疑問をもつけど、プロになれない経験を積んできたのが自分なんだろうなって。

そしてそれは、私の目標からは遠く離れてる訳じゃない。

方向性を間違えていないとサポートしてあげるのが自分の役割なので、頑張りますよ。

 

まだ、終わってない。

分からないながらも、頑張ってますよ。

今、家庭では「無理せず証拠を保存しよう」をモットーに、仕事では「主任は怖くないので確認しよう、同僚は優しいので呟いても流してくれるはず」を心がけています。

 

嫌なことはとてもあるけれど、嫌なことについて、例えば「なんで私が?」「なんで今?」「なんでこの状況を踏まえずにそういうことが言えるの?」「自分だったら言われたくないだろうに、なんで分からないの?」みたいな、主に不条理さを、十分理解できるほど、私は器用に出来ていない。

なので、わからないことをへぇって思いながら、言われたことをやれるようにしないとなって思ってます。

未来に文句言われるのが確実に分かっているなら、放っておいたら損だから。

どうせ、不条理さや不満を、考えたって理解出来ないしねぇ。解決策が見えたところで、自分以外の何かを動かすのは労力が。

 

眠いー。

今日、いつもより30分以上早く出勤、昼は外で立ちっぱなし、その後仕事していつもより5時間遅く退勤したのですが、これから3足靴洗い。(帰ってだいぶ経ってはいますが、今222、時間残っててくれないかなぁ)

理解できないから、理解するのを諦めて、そっかーって思う。

私は同じ状況の他人に言わないから、分からない。

 

私は、自分にわかることしかできないので、自分がわかるように喋ったり書いたりして整理しようとすることがある。

そうすることで、たまに、周りの人が気づいてくれたり声を大きくしてくれたりすることがある。

客観的に見て、成果持っていかれてるって思う。

でも、声が大きくない私が話すより、声が大きい人に拾ってもらう方が、集団としては得だ。

集団として利益になるなら、別にいいや。

「誰が」の部分は、私は気にしたくない。(どうせ私じゃないし)

だから、「誰のせい?」とか聞かれると、わたしは固まる。そういうときは100%、私の中に答えはある、けど、言えない。それが2年前の不適応の一つの理由。

嘘を言えない。少しでもそう思ってないと、固まってしまう。

口籠ったときは、だいたい、私は言われたことに納得いかないか否定的な気持ちでいるか、です。

 

この間も、そして今日久々に聞いてしまい、ざわつき、じわじわ拒絶反応で(私の中で)大変なので書きました。

来ない、来るな、って話は?

そういう「思ってなかった」「予定変更」が、私にとっては苦手なんですよね。

ニーズは個人によって違うのだろうな。

https://www.blog.crn.or.jp/chief2/01/86.html

ごめんなさい、別にやり玉にあげたいわけではなくて…。3記事めです。

 

学校があるときと同じように

という趣旨で課題が出されている以上、

それがこなせない状況にあるならそれは「ニーズ」ではないのかしら?と思ったので、続きます。

 

課題を家で見るのが難しいってどういうことか、は、人によって違うと思います。

勉強ができる環境がないこと。「学習に向かう気持ち」がないこと。

そして、学習支援がもともと必要であるということ。

 

うーん、宿題の多さで困っているのは…より困り感が強いのは、保護者なのでは?

 

消化しきれずに困っているのは、できれば短時間で終わらせる前提を保護者が作っているからなのであって、授業中ではスルーされている現状があるからなのでは?と見えます。

保護者のせいにしてるのではなくてね。

本当は、誰しもできるためには、授業内でのそれなりの支援が必要なのであって、

家でできないのなら、学校での支援と同レベルの支援を提供する必要があるか、

授業内で支援を受けていないのなら、もともと未達成のままに時間切れしていたのではないか、という懸念があるのではないかなぁと。

 

子どもにとっては、いずれにしても、保護者に見てもらえるのはありがたい話だと思うんですよね。

 

残念ながら、学校で行うことに決めている1時間の学習内容は、全員が1時間でできるとは限らないと思います。

速く終わる人がいれば、遅く終わる人も。

遅く終わる人に対して、「時間をもっとかければ終わる」という選択は、家でならとれる。

時間をかけても終わらないのなら、「提示された以外の方法を、ニーズとケアとして考え出す」という選択を、家でならとれる。

学校で完結していた?からこそ、見えなかったことが、今なら見えている。

対応策は学校でもやってきたけれども、もっといい方法が、うちの子ども一人ひとりに合ったものが、家でならわかる。

自宅学習がそういうことに気付き、学校と家で共有するチャンスになるといいなぁと思いますが、どうでしょう?

もし家での「こんな方法が向いてるみたいです」情報がもらえたら、学校は感謝でしかありません。(うちの学年では。)

 

うちの学校が最初に動画を出してきたのは、少しでも教室の空気感を伝えたかったことが主だと思いますが、文字と音声で伝える=視覚優位・聴覚優位どちらにも、少しでも伝わるようにとの気持ちがあると思います。

そういう意味では、紙ベースだけでは厳しかったのかもしれません。教員の工夫のしどころもあるのかも…(もちろん、それでも厳しい人もいるのは承知です)

そこは学校による考え方の違いがあるので、それぞれの場所で頑張りましょうね!としか言えませんが。

 

それでも「先生じゃないから、提示された方法以外なんてそんなことは分からない」「やっぱり子どもの宿題を見るのが負担」なのは、それこそトレードオフですよね。

子どもの学習を取るか、生活を取るか。

(コロナ禍って、本当に厳しい選択を迫られますね)

外部の人間には、その選択の結果に口をはさむことはできません。

 

私は、時間をかけてやってみて、一度成功してほしいなぁ。

保護者の方にも、子どもが困っているなら、手伝ってほしいなぁ。そして成功させてあげてほしいなぁ。教員は手伝えないから。

子どもの将来的に勉強って大事だと思うし、頑張ってほしいなぁ。

 

 

うちは、ある子は「学習環境を整える」が上手くいけば回ります。

違う子は「学習に向かう気持ち」を、ほめたりなだめたり怒ったり釣ったりして、どうにかこうにか宿題ができる…かなぁ

(一番効果があったのは、父でも母でもなく、担任の言葉でした)

いずれも、今のところ(私の考える)「つきっきりで声をかける」系のケアはいらないので、考えが甘々なのだろうとは思います。

また、必ずやり切らなければいけないとも考えないし(=すべての時間を使ってでもダメなら、途中まででも持って行こう、怒られておいで、明日またやろう、のいずれか)、私が見ている時間は比較的時間に余裕があることが多かった。

 

むしろ、私の方が注意欠陥と衝動性でえらいことになるので、宿題のことは取り組んでさえいれば多く言わずに、自分のコントロールを優先している現状があったりして。

そもそも数字弱いので、丸付けとかすごく苦手で(と家族に任せると、存在を全否定される羽目になりますのでお気をつけて)。

 

きっと、お医者様のように、困っている人の気持ちにしっかり添ったり…はしていないから…、いろいろあって難しいんだろうなぁ。

 

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私、不勉強すぎるのですが、

確か「義務教育を受けさせる義務」ですよね。

今回のコロナで「学校に行かせる義務」ではないことに拍車がかかったと思います。

不登校の子対応でもよく思うのですが、「学びは学校に限らない」学校でしか学べないこともある(と思いたい)けど、家でも学べるし、私は「何なら家庭学習の良し悪しで学習成果が決まる」とすら思っています。(授業の意味!)

家での課題は、大変だけど、子どもにはプラスになるはず。

そう信じないとやってられない。(作った側としても、させる側としても、本音。)

 

頑張ってください、保護者の皆様!私も頑張らなくては!!

休業中の先生は何をしていたのか?私の場合~課題づくり

https://www.blog.crn.or.jp/chief2/01/86.html

こちらの記事から思うこと2記事め。前の記事長かったのに、すみません。

 

課題の出し方について。

うちの学校は、休業中も自宅勤務やら何やらだったわけですが、

無条件だったのは3月中だけで、

(卒業式準備やら1週間登校日やらで、そこまで無条件だったわけでもなく、準備にはそこそこ時間がかかり、私は提出する書類がなかなか書けずに31日ギリギリまで家でも学校でもずーっとパソコン仕事でしたが)

4月からはオンライン学習へ向けた準備が進められていました。

(といっても、当初は4月8日始業式・入学式に向け、普通の年度当初でした)

 

オンライン学習では、YouTubeによる動画配信がまず最初に打ち出されて、学年・教科別の動画作成が行われました。

私に関していえば、動画を作ったことがなく、校内研修だったり、私なりに調べたりして、【型】を作りました。

動画って、映像編集もありだし、パワーポイントも使えるんですねぇ。

家では子供が常に声を出す?!ため録音ができず、家で動画の元を作って、学校で録音。よく噛むので1本に1時間近くかけてしまい、存在感がないこともあって、うっかり警報なったこともありました。

目標本数も出されていたので、間に合わせるために(っていっても、間に合わなくても別にペナルティとかないですけどね)夜中に作業をするため、常に眠く、普段と3時間ずれ位の「時差」を感じながら過ごしていたのがこの時期です。

 

少しして、Googleさんのアプリによるオンライン学習が打ち出されました。動画を配信しただけだと、向こうからのリアクションがないというのがきっかけだったかと思います。

また、担任団は複数回オンライン朝の会も行ったようです。見たかったなぁ~

これらのアプリも、私は使ったことがなかったので、研修に次ぐ研修。

私の事情(出勤日以外は絶対に勤務できない)を知ってか知らずか、私の出勤日に職員会議や全体研修が当たることが多く、そうなると個人の仕事は学校では時間切れでできなくて、という「前教室で使ったもの&理科室が片づけられない」ループが出現…

 

さらに、そのアプリを使って「提出を要する課題」を出すように、その翌週は「週持ちコマ数程度の、提出を要する課題」を出すように指示が出ました。

自分のYouTube動画やその他オープン素材を使ってよいことにもなりました。

私の場合は週4なので、4つの課題。

やりようによってはいいのですが、重かったなぁ。

 

現在私の教室では、課題が5つ終了しました。

それ以外にも課題はあって、今回を機に作ったパワーポイント動画は20あります。

ほとんどが10分を超え、長かったぁと…(内心ごめんと思っているが、無理だった)

課題は、それを見たり、リンクされているページを見たりして、問いに答えたり感想を書いたり…

なるべく簡単に出来るようにとは思ったのだがどうなのか。

ポジティブな感想を書いてくれる人がいたのが救いです。(すぐ見れ提出者をチェックできるのもいいところ)

 

課題は印刷すると膨大になるとは思います。全教科だし、何週かまとめてだと思うから。保護者が負担感感じるのはそうだと思います。

でもそれを学校でこなしているのが、今までの毎日の子どもたちだったんです。

(何せ、週持ちコマ数分の課題出す指示でしたから)

むしろ、いつもこんなに頑張っていたんだね。えらかったんだね。とお子さんをほめてあげてほしい。

 

…とまあ、こんな風に、学校現場は流れが変わりまくり(2日後に変わったりする!)

翻弄される中、課題を作っていました。

これに加えて、上記は学校での流れですが、市教委からの指示もあります。

これがだいぶ、私たちの行動を制約するものであり、私にとっては疑問で。

「休業中の課題については履修済みとする」という一文が、果たしてどこまで有効なのか、私の中で今一番ドキドキしていることです。

「年間指導計画を6月はじまりに直して提出」という指示が、私の中で「それにどんな意味があるの?」とチンプンカンプン状態です。

カリキュラムが終わるかどうかは、残念ながら、私たちより市教委の方が気にしているみたいですよ。(履修計画・変更済み年間指導計画が出されていれば、市教委は責任回避(=個別の教員のせいに)できるから、と風のうわさで聞いたような)

 

教員の達成目標…どうなのかなぁ。

確かに、終わらないとまずいことになるのはそうなんですが…達成目標じゃなくて、生徒が不利益を被るからなんだけどなぁ。入試の試験範囲とか。

でも、2学期以降にある業者さんのテストに、授業が間に合うのかはとてつもなく心配しています。だって、生徒が高校に持って行って進路相談に使うことだから。

そこの感覚は、私とは合わないみたいです。

 

ちなみに、「コロナ前には戻れない」という言葉がありますが、私は年間通してアプリを使うことを宣言し、実験写真や動画をすでにYouTubeとは別に15ほど上げています。

理科動画、思っている実験・実習をピンポイントで撮っているものが、なかなか見つけきれなくて…

使ってみれば、手間はかかるけど便利。もしかしたら理解も促しやすいのかも。と期待しています。もう少し続けていくつもりです。

まわりの先生方も、もし2波があったなら…とか、欠席者のために復習のために、と、今も前向きにコツコツ続けている方が多いような気がします。

これまでもそうしてきたし(自分の動画チャンネルを持っているそう!)これからもとおっしゃる人も近くにいたりします。

いい環境でしょう?毎日勉強になります。

 

「学習しようと思う気持ち」を、これから考えようと思います。

定期的に確認してるブログなのですが、今回はちょっと厳しいなって思いました。

https://www.blog.crn.or.jp/chief2/01/86.html

 

プライベートで存在全否定されてることを引きずっていないのだとすれば、笑

 

今回の新型コロナ云々で、私の興味が「学習にアクセスしようとする心情」に移っています。

 

というのは、うちの学校でオンライン学習に場が移されようとしたときに、

「パソコンが家にないけど、もうちょっとしたら(おそらく給料日ですね、すみません。と聞いた側は心底思っています…)買うから、そうしたら提出できるようになります。」

「親のケータイしか環境がないし、新しくスマホが買えるわけでもないので、学校のタブレット借りにきます。教育委員会も貸してくれるんですね。」

「環境はあるんですが使い方が…電話で教えて下さい。学校でもタブレット開放するんですか。そこでやり方教えて下さい。」

など、リアクションが来ることがあったわけです。

先生の中で電話を嫌がる人もいるのかもしれませんが、うちの学校はみんなウェルカムしていて、でも途中で専門性の高い先生にバトンタッチすることがあり、

時間差でお答えします(今わかる人いないんだよ~という心の叫び)と言っても、理解してくださる保護者が多かったこともあって、

クレームから遠い立場にいるせいもあって、ありがたい中分散登校を終えた感じです。

 

お互いに苦戦する環境なのは重々承知です。学校側も見慣れないツールに四苦八苦しているので…

もちろん経済的な事情もあるけど、私のような「仕事に使ってるものを子どもに使われたくない!情報漏らさないか心配!!」事情もあるだろうなぁと思っています。そもそも「仕事に使うから、仕事に行っている間は子供には渡せない」っていうのもあり。

そんなプライベートなことを立ち入って聞くわけにもいかないし。

いろんな事情があるだろう。それを許容しないつもりは学校にはない(少なくともうちの学年には)。

 

でも、市からのアカウントが配られ、必要に応じてPCの配布が市教委からされた後(こちら的には環境は整ったとの認識)で、オンライン学習にアクセスしてこない生徒もいるわけですよね。

うちの学校は(私から見ると)細やかなので、分散登校初日に全員10分くらいの個人面談、オンライン学習未アクセス&未提出の人への学校タブレットでの個別指導を挟んでいます。それを経ても、なかなか難しいとかね。

登校が厳しい生徒さんもいるわけですが、その人が人間関係や昼夜逆転を主訴としているにもかかわらず(つまり低学力とかの学習関係を訴えてないのだけど)、いつでも誰にも知られることなく(教員には知られますが)学習に向かえるはずなのに、アクセスしてこないとかね。

こうなると、不登校も結局「学習」が一番大きなファクターなんじゃないの?

と、私の中で大きく「学習しようと思う気持ち」がフォーカスされ始めたわけです。

気持ちがあれば、たいていの場合、アクセスしてくると思うんですよね。

登校しぶりが人間関係に起因するとしても、その人間関係って単純に仲良し度合いの問題じゃなくて、もしかして、「勉強ができない場合や授業中に恥ずかしい思いをした場合、友達からどう見られるかが心配すぎる」みたいな、学習場面&友達不信&自分の心情(プライドが、とか、見られた嫌だ、とか)がごちゃごちゃした感じなのかなぁ、と。

昼夜逆転して学校にこれなくても、夜中に学習するのは可能なはずだけど、夜中にやることは勉強じゃない(ゲームのことあり)ことが、アクセスにつながらないのだろうなぁ、と。

だとしたら、全ての人に「学習しようと思う気持ち」にさせる仕組みが、とんでもなく必要なんだろうと思いまして。

はて、それは何なのだろう?

 

私の学年は、自習を静かにできちゃうびっくり学年なのですが、能力がどうこう…は、これからお互い勉強していく感じです。

この人たちには、学習しようと思う気持ちが報われ、勉強した先に何があるのか、見せられるのなら見せてあげたいなぁ。と思いました。私の能力が至りませんが…!

そして、個人的には、学習しようと思う気持ちは「この状況嫌じゃない」が基本。

もう嫌われちゃったかもしれませんが、私なりに生暖かく見守ってあげたいなぁと思っています。

 

 

学校がないときも、学校があるときに近い形で、学習したい。と思っている人に向けて。(本当は、みんなにそう思っていてほしいけど…)

あるいは、学校がないからといって、生活リズムや「学びに向かう力」を失ってほしくない。

だから課題を出しています。

教員ができるのはここまで。

後は生徒本人と、それをサポートする保護者にお任せするしかない。

生徒の学習を中心にするなら、保護者のサポートは必須。

そればかりではいられない保護者の事情も多少は分かっている。

だから、できるだけやったことのある形式で、本人にやり方が見通せる可能性の高い課題の出し方をする。

うちの学校はオンラインで、ほかの学校では紙ベースのところもあるだろう。

(学校による違いっていうのは、私の勤務先と子供の学校とが違うことから、「同じ市でも結構差があるねぇ~」ぐらいには把握しています。)

 

保護者が子供の学習を見るのはとても厳しく、負担感が異常にあるのは、自分もそう感じています。

私はとても恵まれた環境にあるのですが、それでも、在宅勤務のときの子供対応は厳しい。(それでも在宅勤務扱いになるのがすごくありがたい)

でも学校にこれない以上、保護者にやっていただくしかないんですよね。

とすると、個々の家でのトレードオフになってくるわけです。

子どもの学習を取るか、生活を取るか、みたいな。

うう、厳しい…

どちらを選んでも、私には何も言えません。それぞれの選択です。

 

私は、宿題(うちの学校では、オンライン学習課題も)の提出を、そこまで追及はできません。

でも、提出がないことを「学習に向かう気持ち」のなさとして、私自身の課題として、重めに受け止めたいと思っています。

あと、今後の授業再開中に、課題を取り返せるなら取り返させる仕組みそのものはあるので、動かしたいとも思います。(←〆切は7月w)

保護者がやらせないから、もー。とか、非難するつもりなんてないし、こんな異常事態にそんなことできませんよ。

 

 

なお、ブログでの「ストレス解消」については、学校にいないときのストレスを学校には解決できないかと思いますので、全く触れませんでした。

PTAの考えることは?

今年は教務の人間性で、いろんなことが前向きにガツガツ進むようです。

うちの主任が去年を超える激務になったり、去年の相棒が尋常ではなくこき使われている?のは…?…また別の話なのかな?

私からは何も言わない。

 

で、PTAとも波長が合う?上手く合わせてる?みたいなんですよね。

 

広報誌をHPに載せよう案件が!

…どうなんですかね。

 

学校だよりも載ってるんですよね。

 

前任校、確かに学校だよりHPにあるんだけど、

そこはあの元校長なので、

教員の氏名配置は完全にマスキングされてたんですよ。

安心だった。

外から見ると、あの先生今年異動?配置どこだろ?とか分からないので、残念ではあるけど仕方ない。

 

でも本校、氏名学年教科、完全にでてるんですよね。

少し前まで動画も「公開」で、学校だよりと合わせたら個人情報ダダ漏れだなーって思ってた。

他校から問い合わせもあったらしい。

なんかヤダなー

 

広報誌はそれに輪をかけて、教員の写真と歴、部活、(今年は)好きな芸能人が載ります。

←広報誌に載せるからって、好きな芸能人を先生たちに聞くPTA、一人残らずちゃんと答える先生たちの図(個人的には超絶面白いのですが、誰も特に何も言わない…w)

 

どういう意図なの?

 

載ったらもう、うちの学校にプライバシーはない!

っと、ここまで書いてるこのブログも、相当やばいけど!!

 

そうか、このブログも閉めろって言うフラグかぁ…

…もう少し続けさせてください。